異文化で触れた「個人」と「集団」の価値観:人間関係と自己認識の変化
自分の中の「普通」が揺らいだとき
海外での暮らしが始まり、しばらく経った頃のことです。日本で当たり前だと思っていた「個人」と「集団」の関係性に関する感覚が、少しずつずれていることに気づき始めました。
私が育った環境では、多くの場合、個人の意見よりもまず「場の空気」を読むこと、集団の調和を乱さないことが美徳とされていました。会議では、皆の前で積極的に発言するよりも、事前に根回しをする方が円滑に進むことも少なくありませんでしたし、自分の意見を主張しすぎると、「和を乱す」と見なされるのではないかという潜在的な恐れのようなものがありました。もちろん、全てがそうではありませんが、私の感覚としては、常に「集団の中の自分」を意識し、周囲との調和を保つことが求められているように感じていたのです。
異文化での戸惑い:声にならない私の意見
しかし、移住した国では、その感覚が必ずしも通用しませんでした。特に仕事の場面では、会議やディスカッションで、参加者一人ひとりが自分の意見や考えをはっきりと述べるのが当たり前でした。たとえそれが多数派と異なる意見であっても、臆することなく発言し、時には熱い議論になることもありました。
最初は、その光景に強い戸惑いを覚えました。日本では、皆が同意している雰囲気の中で一人だけ異なる意見を言うのは勇気がいることでしたし、発言するからには完璧に論理武装していなければならないというプレッシャーを感じていたからです。私は、自分の意見を頭の中で整理し、言葉を選んでいるうちに、あっという間に議論が進んでしまい、結局何も言えずに終わる、ということが頻繁にありました。
なぜ皆は、そんなに簡単に自分の意見を口にできるのだろう。なぜ私は、こんなにもためらってしまうのだろうか。自分の能力が足りないのか、それとも性格の問題なのか。そう考え、落ち込む日々もありました。
「個」を尊重する文化で気づいたこと
そんな経験を繰り返すうちに、単に私のスキルや性格の問題ではないのかもしれない、と感じるようになりました。これは、育ってきた文化の中で培われた、「個人」と「集団」に対する価値観の違いが影響しているのではないか、と。
ここでは、一人ひとりが独立した個人として尊重され、その意見や考えが価値を持つものとして捉えられているように見えました。集団の意見を尊重しつつも、まずは「私」という個人の考えがあり、それを表明することが、その人自身の存在を示すことにつながっている。そして、多様な個人の意見が集まることで、より良い結論やアイデアが生まれると信じられているように感じられました。
それに対して、私の場合は、「集団」という枠組みの中で、自分という「個人」をどう位置づけるか、という視点が強かったように思います。集団の中で浮かないこと、協調性を保つことが、自分の評価や居場所を確保する上で重要だと無意識のうちに考えていたのです。
自分らしいバランスを見つける旅
この異文化での体験は、私の中にあった「個人」と「集団」に関する固定観念を大きく揺さぶりました。どちらの文化が良い、悪いということではありません。それぞれに長い歴史の中で培われてきた合理性や価値観があるのだと理解しました。
大切なのは、多様な「個人」と「集団」の関わり方があることを知り、その中で自分自身がどのようなあり方を望むのか、自分にとって心地よいバランスはどこにあるのかを、主体的に考えていくことだと気づかされました。
以前の私は、集団に合わせることを優先しすぎて、自分の本当の気持ちや意見を押し殺してしまうことがありました。しかし、異文化での経験を通して、自分の意見を持つこと、それを表現することの大切さを学びました。それは、決して自己中心的になるということではなく、一人の人間として、集団に貢献するための第一歩になり得るのだと感じるようになったのです。
もちろん、いまだに集団の中で自分の意見を表明することにためらいを感じることもありますし、逆に、個を尊重しすぎるあまり、集団の一員としての責任を忘れてしまうのではないかと不安になることもあります。しかし、かつてのようにどちらか一方に極端に偏るのではなく、「個」と「集団」の間で、自分にとってより誠実で、より心地よいバランスを探る旅は続いています。
この経験は、私の人間関係にも影響を与えました。相手が一人の独立した個人であることをより強く意識するようになり、相手の意見や考え方に対して、以前よりも耳を傾け、尊重できるようになったと感じています。そして、自分自身も、誰かの期待に応えるためではなく、自分自身の価値観に基づいて人間関係を築いていくことの重要性を学ぶことができました。
異文化は、自分自身の内面を深く見つめ直し、これまで無意識のうちに受け入れていた価値観を問い直す機会を与えてくれます。そして、「個人」と「集団」のあり方について、正解は一つではないということを教えてくれたこの経験は、その後の私の人生において、多様な人々と関わり、自分らしく生きていくための大切な基盤となっているのです。