異文化で気づいた「不満や怒り」の表現方法の違い:人間関係における感情の出し方と私の変化
海外での生活は、様々な「当たり前」が通用しない環境に身を置くことを意味します。その中でも、私が特に深く考えさせられたことの一つに、人々が「不満や怒り」といったネガティブな感情をどのように表現するか、という文化的な違いがありました。それは単に言葉遣いの問題ではなく、人間関係の構築や、自分自身の感情との向き合い方に関する価値観に、静かでありながら確かな変化をもたらしたのです。
異文化で触れた、率直すぎる感情表現
私が移住した国では、日本と比べて感情をストレートに表現することが一般的でした。特に、サービスに対する不満や、理不尽だと感じたことに対して、人々はかなり直接的に、時には声高に抗議することがあります。初めてそのような場面に遭遇した時、私は非常に驚きました。日本では、たとえ不満があっても、相手に迷惑をかけないように控えめに伝えたり、あるいは何も言わずに我慢したりすることが多いように感じていたからです。
例えば、カフェで注文したものと違うものが運ばれてきたときのことです。日本では、「すみません、あの、もしかして違うようなのですが…」といった具合に、恐縮しながら確認することが多いかもしれません。しかし、移住先で見た光景は違いました。注文した人物は、運ばれてきたものを見てすぐに「これは私が頼んだものではない」と毅然とした態度で伝え、時には「どうして間違えるんだ」と、少し感情的な口調になることもありました。周囲の人々も、その光景を特に珍しがる様子はありませんでした。
また、友人や同僚との間の意見の対立においても、感情の表出はよりオープンでした。議論の中で、互いが自身の意見を強く主張し、時には苛立ちや不満を隠さずにぶつけ合う場面も目にしました。それまでの私にとって、「感情的になること」は、冷静さを欠き、人間関係を損なう可能性のあるネガティブなことだと捉えていました。そのため、そうした場面に触れるたび、内心では戸惑いを感じていました。
戸惑いから生まれた内省
こうした体験は、私に自身の感情表現や人間関係におけるスタンスについて考えさせるきっかけとなりました。なぜ、彼らはあんなにも感情をストレートに表現できるのだろうか。そして、なぜ、その表現が必ずしも人間関係の終わりを意味しないのだろうか。
最初は、単に国民性の違い、あるいは大らかさといった表面的な理解に留まっていました。しかし、多くの人々と関わる中で、これは単なる「大らかさ」だけではないと気づき始めました。彼らにとって、感情を正直に表現することは、自己の一部を隠さずに相手に見せる行為であり、それは信頼関係の基盤になり得るという考え方があるように感じられたのです。不満や意見の相違を曖昧にせず、正面から向き合い、解決しようとする姿勢が、結果としてより健全な人間関係を築くことに繋がっているのかもしれない、と考えるようになりました。
対して、これまでの私は、自分の感情、特にネガティブな感情を抑え込むことに慣れていました。それは、和を尊ぶ日本の文化の中で、スムーズな人間関係を築くための知恵として無意識に身につけたものであったのでしょう。しかし、それは同時に、自分自身の本音や感情を「なかったこと」にしてしまう側面もあったと気づきました。
感情の表現に見出した新しい価値観
異文化での経験を通して、私は感情の表現方法に多様な形があること、そしてそれぞれに異なる価値や機能があることを学びました。感情をストレートに表現することが、必ずしも相手を傷つけることではなく、むしろ自分の状態や考えを正確に伝えるための有効な手段になり得ること。そして、それを受け止める側も、個人的な攻撃としてではなく、相手の率直な気持ちとして理解しようとする姿勢があることを知りました。
これは、私の人間関係における価値観にも変化をもたらしました。以前は、感情的な衝突を避けることこそが良好な関係を維持する方法だと考えていましたが、今では、ある程度の感情のぶつけ合いや、正直な気持ちの表明が、かえって関係性を深めることもある、と理解できるようになりました。もちろん、相手を傷つけるような感情の投げつけ方はどの文化でも望ましくないでしょう。ここで言うのは、「建設的な」感情の表現や、本音を話すことの重要性です。
また、自分自身の感情、特に不満や怒りといったネガティブな感情との向き合い方も変わりました。それを単に「抑え込むべきもの」としてではなく、「自分が何に反応しているのか」「何を求めているのか」を知るための重要な情報として捉えるようになりました。そして、その感情をどのように表現すれば、相手に伝わり、状況が改善されるのか、あるいは自分自身が納得できるのか、を考えるようになりました。
学びのその先へ
異文化で触れた感情表現の違いは、私にとって、自分自身の内面、そして他者との関わり方について深く考える機会を与えてくれました。感情の出し方一つをとっても、文化によってこれほど多様なアプローチがあることを知り、自分の「当たり前」がいかに限定的なものであったかを痛感しました。
この経験は、その後の私の人間関係において、よりオープンに、そして正直に向き合う勇気をくれました。また、相手が感情をストレートに表現してきたとしても、その背景にある文化や個人的な事情に思いを馳せ、感情そのものに飲まれずに冷静に対応するための視点も養われたと感じています。
多文化な環境で生きることは、常に自己と他者、そして文化の違いと向き合う旅です。この旅を通して得た「感情の多様性」への理解は、私にとってかけがえのない財産となりました。それは、異なる価値観を持つ人々との共生を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれるものであったのです。