異文化の「期待値」に触れて気づいたこと:サービスと人間関係の価値観の変化
海外での暮らしは、これまで自分が無意識のうちに抱いていた様々な「当たり前」が、全く通用しないという現実に直面することの連続でした。その中でも特に、サービスや人間関係において、文化によって「期待値」が大きく異なるということに気づき、私の価値観が大きく揺さぶられる体験をいたしました。
当たり前だと思っていた「サービス」
日本では、多くの場合、店舗や公共機関でのサービスは非常に丁寧で、顧客の要望を先読みするような細やかな配慮が行き届いています。私自身も、そうした環境に慣れきっていました。ところが、海外で暮らし始めて最初に戸惑ったのは、そうしたレベルのサービスが必ずしも提供されないということでした。
例えば、レストランで店員さんを呼ぼうとしてもなかなか気づいてもらえなかったり、質問をしても簡潔すぎる返答しか得られなかったり、といった経験を何度かいたしました。最初は「なぜこんなに不親切なのだろう」と感じ、不満を抱いたものです。また、行政の手続きなどでも、日本では考えられないほど時間がかかったり、担当者によって言うことが違ったりすることも少なくありませんでした。
こうした状況に直面するたび、自分の中に「サービスとはこうあるべきだ」「公的な対応はこうあるべきだ」という強い「期待値」があることを痛感しました。そして、その期待が裏切られるたびに、イライラしたり、落ち込んだりしていたのです。
人間関係における「期待値」のずれ
「期待値」の違いは、サービスだけでなく、人間関係においても現れました。友人との約束の時間に対する考え方、個人的な質問をどこまで許容するか、困っている時にどこまで助けを求めるか、といったことにも文化的な違いがあることを学びました。
ある時、友人と約束をしていたのですが、相手が大幅に遅れてきたり、直前になってリスケジュールを提案してきたりすることが何度かありました。日本の感覚では、約束の時間は守るべきもの、変更する際は早めに連絡すべきものという強い意識がありますから、最初は正直なところ、軽く扱われているように感じてしまいました。
また、困り事を相談した際に、日本であればすぐに具体的な手助けを申し出てくれるような場面でも、相手はただ話を聞いて共感してくれるだけで、具体的な行動には繋がらない、といったこともありました。これも、自分の中に「友人はこういう時にこうしてくれるものだ」という無意識の「期待値」があったからこそ感じたずれでした。
期待を手放し、見えた新しい視点
こうした度重なる「期待外れ」の経験を通して、私は次第に自分自身の「期待値」について深く考えるようになりました。なぜ、私はこうしたサービスや人間関係を「当たり前」だと感じていたのだろうか。それは、単に私が育ってきた文化においてそれが一般的であったからに過ぎないのではないか。
そう考え始めた時、私の内面に変化が起こりました。相手側の文化には、彼らなりの論理や価値観があるはずだ、と考えるようになったのです。例えば、サービスがあっさりしているのは、人件費を抑えるためかもしれないし、顧客が自分でできることは自分で、という自立を促す文化の現れかもしれない。約束の時間にルーズなのは、時間よりも目の前にいる人との関係を重視する文化や、計画よりも流れに身を任せることを好む国民性から来ているのかもしれない。
このように、自分の「期待値」を手放し、相手の文化の背景にあるかもしれない理由に思いを馳せることで、今まで不満にしか感じられなかった出来事が、単なる文化の違いとして受け入れられるようになりました。そして、むしろ、相手の文化の良さや合理性に気づくことができるようになったのです。
サービスにおいては、過剰な丁寧さがなくても機能する効率性や、店員さんと顧客が対等な立場で自然なコミュニケーションを取ることの心地よさなど、新しい価値観を発見しました。人間関係においては、時間の正確さよりも、一緒にいる時のリラックスした雰囲気や、相手のペースを尊重することの大切さなどに気づかされました。
価値観の相対化と多様性の受容
海外での「期待値」の違いに触れた経験は、私にとって、自分自身の価値観を相対化する貴重な機会となりました。「当たり前」や「当然」だと思っていたことは、普遍的な真実ではなく、あくまで特定の文化や環境の中で形成されたものに過ぎないということを、身をもって理解したのです。
この気づきは、その後の私の人生に大きな影響を与えています。異なる文化や価値観を持つ人々との関わりにおいて、安易に自分の「期待」を押し付けたり、相手を「おかしい」と判断したりするのではなく、「なぜそうなるのだろう」と一度立ち止まって考える習慣がつきました。多様な価値観が存在することを前提に、柔軟な姿勢で相手と向き合うことの大切さを学んだのです。
もちろん、今でも戸惑うことはありますし、理解できないと感じることもゼロではありません。しかし、そこで感じる感情は、以前のような不満や否定的なものから、「面白いな」「こういう考え方もあるのか」といった好奇心や学びへの意欲へと変わってきました。
自分自身の「期待値」というフィルターを通して世界を見るのではなく、様々な角度から物事を捉えようとすること。これは、海外移住で得た最も大切な学びの一つであり、多文化が共生する現代社会を生きていく上で、非常に重要な視点であると感じています。