異文化の「ゆったり」に戸惑った私:効率主義から見えた人間関係と時間の価値観の変化
日本での「当たり前」としての効率とスピード
私が海外に移住する前、日本での働き方や日常生活において、「効率の良さ」や「スピード」は非常に重視される価値観だったように感じています。仕事であれば、いかに短時間で多くのタスクをこなすか、いかに無駄なく目標を達成するか。日常生活でも、電車は正確に運行され、手続きは迅速に進むことが期待されます。私たち自身も、常に効率を追求し、時間を有効活用することを良しとする環境に身を置いていたと思います。
私自身もその価値観を内面化しており、何かをする際にはまず最も効率的な方法を考え、無駄を徹底的に排除しようと努めていました。それはある種の心地よさでもあり、物事がスムーズに進むことへの満足感でもありました。
海外で直面した「ゆったり」というペース
しかし、海外に移住し、異なる文化の中で生活を始めたとき、私はすぐにこの「効率」や「スピード」に関する私の「当たり前」が通用しない場面に直面することになりました。
特に印象的だったのは、仕事の進め方やコミュニケーションのペースでした。日本では、会議は短く要点をまとめ、すぐに結論を出すことが求められる傾向がありましたが、新しい環境では、会議にたっぷりと時間をかけ、参加者全員が納得するまで議論を重ねることが一般的でした。最初のうちは、その「非効率」さが理解できませんでした。「なぜもっと早く決められないのだろう」「この雑談に何の意味があるのだろう」と、心の中で焦りや苛立ちを感じていたのです。
また、日常生活でも、役所での手続きに驚くほど時間がかかったり、お店での店員さんとお客さんのやり取りがゆったりしていたり、友人との待ち合わせ時間にルーズなことが多かったり。これまでの自分のペースとは全く違う流れの中にいることに、常に落ち着かない気持ちを抱えていました。
「無駄」だと思っていた時間から見えたもの
こうした体験を繰り返すうちに、私は「なぜこんなにペースが違うのだろう」と考えるようになりました。そして、表面的な「効率の悪さ」の裏にある、その文化ならではの価値観に少しずつ気づき始めたのです。
例えば、仕事での長い会議や雑談は、単なる時間の浪費ではありませんでした。それは、チームメンバーがお互いをより深く理解し、信頼関係を築くための重要な時間だったのです。お互いの個人的な背景や考え方を共有することで、より強固なチームワークが生まれ、結果として長期的なプロジェクトの成功につながることもありました。また、時間をかけて議論を尽くすことは、多様な視点を取り入れ、より良い決断をするためのプロセスだったのです。
日常生活でのゆったりとした時間も、私に新しい視点をもたらしました。待たされる時間や、計画通りに進まない状況は、最初はストレスでしたが、その時間を使って周囲を観察したり、偶然の出会いや会話が生まれたりすることがありました。急いでいた時には気づかなかった人々の温かさや、街の美しい風景に目を向ける余裕が生まれたのです。
価値観の変化:効率だけが全てではない
これらの経験を通して、私の「効率至上主義」的な価値観は少しずつ揺らぎ始めました。もちろん、効率やスピードが重要な場面はたくさんあります。しかし、それらが唯一絶対の価値基準ではないことを、身をもって学んだのです。
人間関係を築くこと、相手を深く理解すること、予期せぬ出来事を楽しむこと、立ち止まって周囲を見渡すこと。これらは、効率を追求する中では見過ごされがちな、しかし人生を豊かにするために非常に大切な要素です。異文化の「ゆったり」としたペースは、私にこれらの価値を再認識させてくれました。
この変化は、その後の私の働き方や人との向き合い方にも影響を与えています。常に最短距離を求めるのではなく、プロセスを大切にする、人間関係構築に時間を惜しまない、時には意図的に立ち止まる時間を作る。そうすることで、以前は見えなかった景色が見えたり、思いがけない発見があったりすることを経験しています。
自分の中の「普通」を問い直す機会
海外移住で経験したこの「ゆったり」というペースは、私にとって、自分の中の「普通」や「当たり前」が、いかに特定の文化や環境に形作られたものかを知る貴重な機会でした。そして、異なる価値観に触れることで、自分の視野を広げ、より柔軟に物事を捉えられるようになったと感じています。
多文化環境に身を置くことは、時に戸惑いやフラストレーションを伴いますが、それは同時に、自分自身を深く見つめ直し、新たな価値観を発見する旅でもあります。もしあなたが、異文化に触れる機会があるなら、ぜひ自分の中の「当たり前」を一度脇に置いて、その文化独自のペースや価値観を感じてみてください。きっと、あなた自身の価値観にも、豊かな変化が訪れることと思います。