異文化の「時間厳守」に対する異なる感覚:私の「計画通り」と「待つこと」に関する価値観の変化
海外移住は、日常生活のあらゆる側面に潜む自身の「当たり前」に気づかされる連続でした。特に、時間に対する感覚の違いは、私がそれまでどれほど「時間厳守」や「計画通り」という価値観に縛られていたかを鮮明に浮き彫りにしました。今回は、異文化の中で時間の流れ方や約束に対する姿勢が異なる人々と接する中で、私の内面に起きた変化についてお話ししたいと思います。
計画通りに進まない日々への戸惑い
私が移り住んだ国では、待ち合わせの時間に遅れること、公共交通機関が時刻表通りに来ないこと、あるいは役所やお店の手続きに想像以上に時間がかかることなどが日常的に起こりました。日本の基準で言えば、これらは「ルーズ」「非効率」と捉えられるかもしれません。
移住当初、私はこうした状況に強い戸惑いを感じていました。友人と約束した時間になっても連絡がなく、数十分、時には1時間以上待たされる。バス停で待っていても、アプリで表示される到着予定時刻が何度も更新され、結局いつ来るか分からない。こうした経験を重ねるたび、私は内心で苛立ちや不安を募らせていきました。
「なぜ時間通りに来ないのだろう」「計画通りに進まないと、この後が全て狂ってしまう」
常に先の予定を立て、それを時間通りにこなすことで安心感を得ていた私にとって、予測不能な遅延や変更は、コントロール不能な状況としてストレスの原因となりました。それは単に時間の問題ではなく、「信頼」や「誠実さ」といった、人間関係や社会のあり方に関わる価値観が揺さぶられるような感覚だったのです。
「時間通り」の背景にあるもの、そうでないものの背景にあるもの
なぜ、現地の多くの人々は時間に対して比較的寛容なのか。なぜ、計画通りに進まなくてもそれほど気にしないように見えるのか。この疑問を解消しようと、私は彼らの文化や考え方について観察し、友人たちと話す機会を設けました。
ある友人は言いました。「時間はあくまで目安だよ。大切なのは、会って一緒に過ごすことそのものだ」。また別の友人は、「人生は何が起こるか分からない。計画通りにいかないのが当たり前だ」と笑っていました。彼らにとって、時間を厳守することよりも、その場の状況や人間関係、あるいは予期せぬ出来事への柔軟な対応の方が、優先される価値観であることが見えてきました。
もちろん、仕事などフォーマルな場では時間厳守が求められる場面もあります。しかし、プライベートにおいては、時間を多少犠牲にしてでも、目の前の人との会話を続けたり、困っている人を助けたり、その時に起こったハプニングに対応したりすることが、より重要視される傾向にあるように感じました。
私自身は、時間を守ることが相手への敬意を示す行為だと考えていました。約束の時間に行くのは当然のマナーであり、それが守られないのは相手に迷惑をかけることだと。しかし、彼らの文化では、時間を守れなかったとしても、そのこと自体よりも、その後の対応や、関係性そのものに重きが置かれているようでした。
「待つ」ことから見えてきた価値観の変化
当初、私は「待たされる時間=無駄な時間」と考えていました。しかし、待つことが日常になるにつれて、私はその時間を別の視点から捉えるようになりました。スマートフォンを見て時間を潰すだけでなく、周囲を観察したり、本を読んだり、ただぼーっと景色を眺めたりする時間が増えました。
それは、常に何かをしていないと落ち着かない、効率的に時間を使わなければという強迫観念から解放される過程でもありました。「待つ」という受け身の状況が、私に立ち止まり、呼吸を整え、周囲に意識を向ける機会を与えてくれたのです。
また、「計画通りに進まないこと」に対する耐性も少しずつついてきました。当初はパニックになりそうだった遅延や変更も、「まあ、そういうこともあるか」と受け流せるようになっていきました。完璧な計画を立てても、予期せぬ要素によって簡単に崩れることがある。であれば、完璧を目指すよりも、起こった状況に対して冷静に、そして柔軟に対応する能力の方が、人生を円滑に進める上で重要なのかもしれない。そう考えるようになったのです。
「時間」という価値観の多様性を受け入れる
この経験を通して、私は「時間厳守」や「計画通り」といった価値観が、普遍的なものではなく、文化や環境によって異なる相対的なものであることを深く理解しました。そして、自分の中の厳格な時間に対する価値観が、時に自分自身や周囲の人々を窮屈にさせていた可能性に気づかされました。
もちろん、時間を守ることや計画を立てることには大きな意味があります。効率性や信頼関係を築く上で不可欠な場面も多いでしょう。しかし、それだけが唯一の正解ではない。状況や相手、文化に合わせて、時間に対する考え方や行動を柔軟に変えること。そして、「待つ」ことや「計画通りにいかないこと」の中に、別の価値や機会を見出すこと。これは、異文化が私に教えてくれた大切な学びです。
完璧主義だった私に少しの「なんとかなるさ」という柔軟性が加わり、待つ時間も無駄ではなくなりました。この変化は、仕事や人間関係、そして自分自身の心のあり方にも良い影響を与えていると感じています。異文化に触れることは、このように、自身の凝り固まった価値観を解きほぐし、世界をより広く、多様な視点から眺める機会を与えてくれるのだと改めて実感しています。