私の異文化体験談

異文化で知った「未来への計画」の多様な形:私の計画性と価値観の変化

Tags: 異文化理解, 価値観の変化, 計画性, 将来設計, 海外生活

海外で暮らし始めて、私が想像以上に自分の内面と向き合うことになったテーマの一つに、「未来への計画」がありました。日本で育った私は、比較的幼い頃から将来の目標を立て、それを達成するための計画を綿密に練ることを重視する環境にいたように思います。大学受験、就職活動、キャリアパスなど、多くの場面で計画性と実行力が求められました。それはある意味、将来の不安を軽減し、物事をコントロールするための有効な手段であると信じていました。

しかし、移住先の文化に触れる中で、この「計画すること」に対するスタンスが、自分が慣れ親しんだものとは大きく異なる場合があることに気づきました。最初は些細な違和感でした。例えば、友人との会話で数ヶ月先の予定について尋ねると、「その時になったら考えよう」「流れに任せるよ」といった返事が予想以上に多く返ってきたのです。日本にいた頃なら、「無計画すぎるのでは」と感じてしまいそうな場面でも、彼らは特に不安を感じている様子がありませんでした。

さらに、仕事の現場でも、長期的なプロジェクトの計画が、私が慣れていたほどには細かく、厳密に決められていないことに驚きました。もちろん、大きな方向性や目標はありますが、そこに辿り着くまでの道のりには、かなりの余白や変更の余地が残されているように見えたのです。当初は「これで本当にうまくいくのだろうか」「非効率ではないか」と、心の中で戸惑いを隠せませんでした。私の頭の中には常に、最も効率的で確実なルートを描き、そこから外れないように進むという意識が強くありました。

この異文化での経験を通して、私は自分自身の「計画性」に対する考え方を深く掘り下げて考えるようになりました。なぜ私はそれほどまでに計画を立て、計画通りに進むことにこだわるのだろうか。それは、計画が私に安心感を与え、不確実な未来への不安を打ち消してくれるからではないか。そして、計画通りに進めることが、自分の能力や価値を示す一つの尺度になっているのではないか。そんな内省を重ねました。

一方、周囲の人々が持つ、未来に対する比較的柔軟で、ある種「なんとかなる」といったスタンスは、彼らが持つ文化的な背景や、人生に対する異なる哲学に根差しているのかもしれないと感じるようになりました。彼らは、計画通りに進まないことが前提であり、予期せぬ変化や偶然性を受け入れることの方が重要だと考えているように見えました。それは決して無責任なのではなく、変化に臨機応変に対応する能力や、目の前の「今」に集中することの価値を知っているようにも映りました。

このような経験は、私の中で「計画通りに進めることこそが最善である」という固定観念を少しずつ揺るがしていきました。もちろん、計画を立てることの重要性を否定するものではありません。目標に向かって努力するためには、ある程度の計画は不可欠です。しかし、異文化の人々と関わる中で学んだのは、計画はあくまで未来へのガイドラインであり、それに縛られすぎる必要はないということです。時には計画を手放し、予期せぬ出来事から生まれる新しい可能性に目を向けること、そして、計画通りに進まなかったとしても、それは失敗ではなく、学びの機会として受け止めることの大切さを実感しました。

この価値観の変化は、その後の私の人生観にも影響を与えています。以前ほど、未来の不確実性に対して過剰に不安を感じなくなり、目の前の状況に対してより柔軟に対応できるようになりました。人間関係においても、相手の計画性や時間感覚が自分と異なっていても、それを単なる「ルーズさ」と捉えるのではなく、多様な価値観の一つとして受け入れられるようになったと感じています。

海外での「未来への計画」に関する異文化体験は、私にとって自己の「当たり前」を問い直し、より広い視野で人生を捉え直す貴重な機会となりました。計画を持つことの力強さと同時に、計画を手放すことの自由さを知ることは、不確実性に満ちた現代を生きる上で、よりしなやかな強さを身につけることに繋がると感じています。