異文化の生き方に触れて見えた、自分にとっての「豊かさ」の意味
海外移住を経験する中で、私は様々な価値観や生き方に触れる機会を得ました。それは、日本で育った私にとって、時に驚きであり、時に深く考えさせられる出来事の連続でした。中でも、私がそれまで当たり前だと思っていた「豊かさ」の意味が大きく揺らいだ体験は、自身の価値観を根本から見つめ直すきっかけとなりました。
日本で抱いていた「豊かさ」のイメージ
私が日本にいた頃に漠然と抱いていた「豊かさ」のイメージは、経済的な安定や、物質的に恵まれた状態に強く結びついていたように思います。良い学校を出て、安定した会社に就職し、そこそこ稼ぎ、快適な住環境や便利なモノに囲まれて暮らすこと。それが「成功」であり、「豊かさ」へと繋がる道だと、どこかで信じていたのかもしれません。もちろん、それが全てではないと頭では理解していても、社会の一般的な価値観として、そうした尺度で物事を測りがちだったことは否定できません。
異文化で出会った多様な「豊かさ」の形
しかし、海外で暮らし始めて、その「豊かさ」に対する私の固定観念は、良い意味で打ち壊されていきました。例えば、私が暮らしていた国では、日本ほど経済的な豊かさや効率性を追求しない人々が多くいました。彼らは、家族や友人との時間を最優先し、仕事は生活のための一つの手段と捉えているようでした。週末になれば、公園で家族とピクニックをしたり、友人とカフェで何時間もおしゃべりをしたりと、ゆったりとした時間を過ごすことに価値を見出していました。
また、ある友人宅を訪れた際、彼らの住まいは決して広くもなく、豪華な家具があるわけでもありませんでした。しかし、壁には子供が描いた絵が飾られ、棚には家族の写真が並び、食卓を囲んで語り合う彼らの顔は、心から満ち足りているように見えました。物質的な豊かさとは異なる、人間関係や日々の小さな喜びの中に「豊かさ」を見出し、享受している彼らの姿に、私は強い感銘を受けました。
彼らにとっての「豊かさ」は、所有するモノの量ではなく、人生における「質」や「経験」、そして何よりも「人との繋がり」に重きを置いているように感じられたのです。
自分の中の「豊かさ」の定義の変化
こうした体験を通して、私は自分自身に問いかけるようになりました。「私にとって、本当の「豊かさ」とは何だろうか」と。これまでは無意識のうちに、社会が示す「豊かさ」の尺度に合わせて自分を測ろうとしていたのではないか。しかし、異文化で出会った多様な生き方に触れ、自分が思っていた以上に、「豊かさ」には様々な形があることを知りました。
経済的な安定も大切ですが、それだけが「豊かさ」の全てではない。大切な人との温かい繋がり、新しい経験から得られる学び、日々の生活の中にある小さな幸せを感じる心、そして、自分自身の内面的な成長や心の平穏も、かけがえのない「豊かさ」であることに気づいたのです。
変化した価値観がもたらしたもの
この価値観の変化は、私のその後の人生に大きな影響を与えました。以前よりも、物質的な欲求に振り回されることが減り、人間関係や自分自身の内面と向き合う時間を大切にするようになりました。また、仕事を選ぶ上でも、単に収入だけでなく、自分にとって意味のあることか、成長できる機会があるかといった点をより重視するようになりました。
もちろん、価値観は常に変化し続けるものだと思います。しかし、異文化での体験を通して、「豊かさ」に対する視野が大きく広がったことは、私の人生にとって非常に大きな財産となっています。多様な価値観に触れることは、自分自身の「当たり前」を問い直し、より柔軟で豊かな生き方を見つけるための一助となるのではないでしょうか。この経験が、読者の皆様がご自身の「豊かさ」について考える際の、ささやかなヒントとなれば幸いです。