異文化で崩れた「一つの正解」という思い込み:物事を多角的に見る視点への変化
異文化で崩れた「一つの正解」という思い込み:物事を多角的に見る視点への変化
海外での生活は、自分のそれまでの「当たり前」が全く通用しない環境へ身を置くことです。言葉、習慣、考え方、何もかもが異なります。その中で私が特に強く意識するようになった変化の一つに、「物事を多角的に見る視点」の獲得があります。移住前の私は、「こうすれば正しい」「これが最も効率的で良い方法だ」というように、物事や課題に対して「一つの正解」や「最善のやり方」が存在すると考えがちでした。それが、異文化の環境でどのように揺らぎ、私の価値観を変えていったのかについて、私の体験に基づきお話ししたいと思います。
当たり前が揺らいだ瞬間の戸惑い
私が住むことになった国で働き始めた当初、仕事の進め方や問題解決のアプローチにおいて、日本のやり方とは異なる場面に度々遭遇しました。例えば、あるプロジェクトでチーム内で意見が分かれた際、日本ではまず既存のデータや過去の事例を詳細に分析し、そこから論理的に最善と思われる一つの解決策を導き出すことを重視する傾向があるように感じていました。しかし、現地の同僚たちは、それぞれの直感や過去の異なる経験に基づいた、多様なアイデアを同時に提示し、議論を重ねるというスタイルでした。
当初、私は彼らのアプローチに戸惑いを隠せませんでした。「なぜもっと体系的に進めないのだろう」「非効率的ではないか」と感じたのです。自分の知る「正しい」やり方から外れているように思え、不安を覚えることもありました。自分の意見を述べるときも、「これが論理的に正しい」という根拠を提示しようと躍起になっていました。
「正しさ」の相対性に気づく
しかし、議論を重ね、異なるアプローチが実際にどのような結果をもたらすのかを目の当たりにするにつれて、私の考えは少しずつ変わり始めました。彼らの「体系的ではない」と感じられたアプローチも、時には思いもよらない画期的なアイデアを生み出したり、状況の変化に柔軟に対応することを可能にしたりする場面があったのです。
そこで私は、自分が「正しい」と考えていたやり方は、あくまで自分が育った環境や文化、これまでの経験の中で培われた一つの「型」に過ぎないのではないか、と考えるようになりました。そして、彼らのやり方もまた、彼らの環境や文化、経験に根ざした、彼らにとっての「正しい」やり方なのだと理解するようになりました。
「正しいやり方」は一つではない。状況や目的、そしてそれに関わる人々の背景によって、最適なアプローチは多様に存在するのだという当たり前の事実に、このとき初めて心から気づかされたのです。自分の「正解」に固執することは、他の可能性やより良い方法を見落とすことにつながるのかもしれない。そう内省するようになりました。
多様な視点を受け入れることの価値
この気づきは、私の物事の見方全体に大きな影響を与えました。仕事だけでなく、日常生活の些細なことにおいても、異なる考え方や習慣に触れた際に、すぐに「違う」「おかしい」と判断するのではなく、「なぜだろう」「どういう背景があるのだろう」と、その理由や意図を理解しようと努めるようになりました。
例えば、公共の場でのマナーや人との距離感、時間の捉え方など、自分の「当たり前」とは異なる行動を観察する際に、それを単純な「間違い」としてではなく、その社会や文化の中で培われた意味合いを持つものとして捉えることができるようになったのです。
これは人間関係においても大きな変化をもたらしました。相手の意見や行動が自分の理解の範疇を超えている場合でも、頭ごなしに否定するのではなく、彼らの立場や考えの背景に寄り添い、異なる視点があることを受け入れる姿勢が生まれます。これにより、意見の衝突が建設的な対話に繋がったり、互いの違いを認め合った上で協力体制を築いたりすることが容易になったと感じています。
価値観の変化がもたらしたもの
「一つの正解」という思い込みが崩れ、物事を多角的に見る視点を得たことは、私の価値観に深みを与えてくれました。多様性を受け入れることの重要性を肌で感じ、異なるバックグラウンドを持つ人々との関わりをより豊かに楽しめるようになりました。また、自分自身の考え方や行動に対しても、一つの基準で評価するのではなく、様々な角度から問い直し、より柔軟に選択できるようになりました。
この変化は、決して自分の中の軸を失うことではありません。むしろ、自分自身の価値観を相対化し、様々な視点を取り入れることで、より強固でしなやかな「自分らしさ」を築くための重要な一歩だったと感じています。海外での体験を通じて得たこの多角的な視点は、私にとって、これからの人生を生きていく上での大切な羅針盤となっています。異なる価値観や考え方に触れる機会があるならば、ぜひその背景にあるものを理解しようと努めてみてください。きっと、新たな発見や自己の変化に繋がるはずです。