きっちり計画したい私が見つけた海外での「なんとかなる」の価値観:不確実性との付き合い方の変化
日本での「計画」と海外での「不確実性」
日本での生活は、良くも悪くも予測可能性が高いと感じています。電車は時間通りに来ますし、アポイントメントは基本的に定刻に始まります。何かを計画する際、私たちはその計画がかなりの精度で実行されることを前提としています。私自身も、物事をきっちりと計画し、その通りに進めることに安心感を覚えるタイプでした。計画通りに実行できることは、効率的であり、目標達成のための確実な道だと考えていました。
しかし、海外に移住して間もなく、この「計画通りに進む」という前提が簡単に崩れる現実に直面しました。
計画が崩れる日常:戸惑いとストレス
最初の頃は、その度に大きなストレスを感じていました。例えば、友人との待ち合わせ。日本では「1時に駅で」と言えば、お互いに1時ちょうどか、少し前に着くように行動するのが一般的です。しかし、私が住んでいた国では、「1時頃に」という表現が文字通り「だいたい1時くらいの時間帯に」を意味することが多く、1時半や2時に友人が現れることも珍しくありませんでした。初めは「なぜ時間を守らないのだろう」とイライラしたり、自分が軽視されているように感じたりしたものです。
また、行政手続きや銀行での用事なども、日本のようにスムーズには進まないことがよくありました。窓口で長時間待たされたり、必要書類が突然増えたり、担当者が不在だったりと、予期せぬ事態が次々と起こります。綿密に計画を立てて行ったはずなのに、その計画が何の役にも立たないように思える瞬間が何度もありました。
こうした経験が続くと、当初は「どうすればもっと効率的にできるのだろう」「どうすれば時間を守ってもらえるのだろう」といった解決策を模索していました。日本のやり方を説明してみたり、事前に念押しをしてみたりもしましたが、状況はあまり変わりません。むしろ、自分が「完璧」や「効率」に固執しすぎているのかもしれない、と感じるようになりました。
「なんとかなる」という新たな視点
この「計画通りにいかない日常」に長く身を置くうちに、私の内面に変化が起こり始めました。それは、「まあ、なんとかなるか」という感覚の芽生えでした。
最初は、諦めに近い感情だったかもしれません。どうせ計画通りにはいかないのだから、あまり期待しないでおこう、という受け身の姿勢でした。しかし、やがてそれは単なる諦めではなく、積極的に不確実性を受け入れるスタンスへと変わっていきました。
計画が崩れてできた予期せぬ時間で、偶然近くにあった興味深い場所を見つけたり、遅れて現れた友人との会話が、予定通りに会っていたら生まれなかった深いものになったり。計画通りに進まないからこそ生まれる「偶然の出会い」や「予期せぬ発見」があることに気づいたのです。
これは、コントロールできないことに対する向き合い方の変化でした。すべてを自分の計画通りにコントロールしようとするのではなく、起こる出来事を受け入れ、その中で最善を見つけたり、意外な展開を楽しんだりする柔軟性の大切さを学んだのです。
計画性と柔軟性のバランス
この経験を通じて、私は「計画すること」自体の価値観も再定義しました。計画は、あくまで目標に向かうためのガイドラインであり、絶対に変えられない rigid なものではないということです。計画は、出発点としては有効ですが、旅の途中で景色が変わったり、新しい道が現れたりしたら、柔軟に進路を変える勇気も必要だと考えるようになりました。
完璧な計画を立て、それを寸分たがわず実行することに価値を見出すのではなく、不確実な状況の中でも冷静さを保ち、状況に応じて対応を変えていく柔軟性もまた、非常に価値のある能力だと考えるようになったのです。そして、人生においても、あまり先々まで固定した計画を立てすぎず、目の前の状況に柔軟に対応し、予期せぬ流れにも乗ってみることの面白さを知りました。
海外での「計画通りにいかない日常」は、私にとって大きな学びの機会でした。それは、完璧な計画を求めるストレスから解放され、不確実性の中に潜む豊かな可能性に目を向けるきっかけを与えてくれたのです。この変化は、その後の私の人間関係にも影響を与えました。相手の「アバウトさ」を以前ほど気にしなくなり、むしろその場の流れに任せることで生まれる、より自然でリラックスした関係性を楽しめるようになったと感じています。
人生は必ずしも計画通りには進みません。しかし、そこで立ち止まるのではなく、柔軟に対応することで、計画を立てていた時には想像もできなかったような、素晴らしい景色に出会えるのかもしれない。海外での経験は、私にそう教えてくれたのです。