異文化で直面した「ストレートな評価」:批判と向き合うことで変わった私の価値観
海外で生活を始めた当初、特に仕事や学業の場面で、私は戸惑いを覚える経験をしました。それは、他者からのフィードバックや評価が、私が日本で慣れ親しんでいたものとは全く異なる性質を持っていたからです。
日本での「評価」と異文化での「評価」の違い
日本では、相手への配慮からか、たとえ改善点があったとしても、それを伝える際には言葉を選び、遠回しな表現を使ったり、まず良い点を挙げてから控えめに触れたりすることが多いように感じます。しかし、移住先の文化では、フィードバックは非常に直接的で、時に容赦なく聞こえるほどストレートなものでした。
例えば、私が時間をかけて準備したプレゼンテーションに対して、「この部分は全く理解できない」「結論に至る論理が破綻している」といった厳しい言葉を、大勢の前で投げかけられたことがありました。日本では、このような場面では「よく準備されていますね。ただ、この点についてもう少し説明があると、より分かりやすいかもしれません」といった形で伝えられることがほとんどです。
この直接的なフィードバックに初めて直面したとき、私の心はひどく傷つきました。それはまるで、私の人格そのものを否定されたかのように感じられ、強いショックと、ほんの少しの反発心が湧き上がったのを覚えています。なぜ、わざわざこんなに厳しい言い方をするのだろうか。相手を傷つけることになると考えないのだろうか、そう思いました。
価値観の衝突と内省
この体験は、私の内面にある価値観と真っ向から衝突するものでした。私はそれまで、人間関係においては摩擦を避け、相手を傷つけないように細心の注意を払うことが美徳だと考えていました。評価についても、相手の努力を認めつつ、優しく建設的に伝えるのが良い方法だと思っていました。そのため、異文化でのストレートな評価は、私にとっては「失礼」であり、「冷たい」行為のように映ったのです。
しかし、同様の経験を重ねるうちに、私は次第に異なる視点からこの状況を捉えるようになりました。ある時、非常に厳しいフィードバックをしてきた相手が、その後に「君の成長を心から願っているからこそ、改善すべき点を明確に伝えたかった」と語ったことがありました。その言葉を聞いたとき、私は初めて、彼らのストレートさの裏にある意図に思いを馳せることができたのです。
彼らにとって、曖昧な表現で伝えて相手に意図が伝わらないことの方が、かえって不誠実であると考えているのかもしれない。また、率直な意見交換こそが、互いを高め合い、より良い結果を生み出すための最も効率的で誠実な方法だと信じているのかもしれない、と考えるようになりました。
批判との向き合い方と自己の変化
このような内省を経て、私は「ストレートな評価=悪意」という単純な図式を手放し、批判的なフィードバックの中に含まれる「建設的な意図」を見出そうと努めるようになりました。感情的な波立ちを抑え、伝えられた内容そのものに焦点を当て、それが何を意味し、どのように改善に繋がるのかを冷静に分析する練習を始めました。
このプロセスは容易ではありませんでしたが、続けるうちに私は、批判を個人的な攻撃としてではなく、自分を成長させるための貴重な情報として受け止められるようになっていきました。他者からの厳しい視点を受け入れることは、時に痛みを伴いますが、それまで気づかなかった自分の盲点に光を当てる機会を与えてくれるのです。
この変化は、私の自己評価にも影響を与えました。他者からの評価に一喜一憂するのではなく、自分自身の基準で物事を判断し、建設的なフィードバックは自身の成長のための糧として活用するという姿勢が身についたように感じます。また、他者との関係性においても、表面的な調和だけでなく、互いにとって有益な意見を率直に伝え合うことの価値を理解できるようになりました。
体験が教えてくれたこと
異文化で直面したストレートな評価は、私にとって大きな挑戦でしたが、同時に自分の中の価値観を根底から問い直す貴重な機会となりました。人間関係における「誠実さ」や「優しさ」の定義が一つではないこと、そして、文化によって異なるコミュニケーションスタイルには、それぞれに異なる価値や意図があることを肌で感じたのです。
この体験は、その後の私の人生において、異なる意見や価値観を持つ人々との関わり方に大きな影響を与えています。安易に「正しい」「間違っている」と判断するのではなく、なぜ相手はそのように考え、行動するのか、その背景にあるものに目を向けることの重要性を学びました。
もちろん、すべての直接的なフィードバックが建設的であるわけではありません。しかし、異文化での経験を通して培われた、批判の中に含まれる可能性を見出す視点や、感情に流されずに内容を分析する冷静さは、多様な人々との関係を築いていく上で、かけがえのない力となっていると感じています。この経験が、読者の皆様が異文化に触れた際、自分自身の価値観と向き合い、新たな学びを得るための一助となれば幸いです。