困ったときに触れた異文化の「助け合い」:私の人間関係と自立・依存の価値観の変化
海外での暮らしは、刺激に満ちている一方で、予期せぬ困難に直面することも少なくありません。慣れない環境、言葉の壁、文化の違いなど、日常のささいなことが大きな壁となることがあります。そのような状況で、私は「助けを求める」そして「助けられる」という行為を通して、人間関係や自分自身の価値観、特に自立と依存に対する考え方が大きく変わる経験をしました。
自力で解決しようとする癖と、異文化での戸惑い
日本で育った私は、多かれ少なかれ「人に迷惑をかけてはいけない」「自分でできることは自分でするべきだ」という価値観の中で生きてきました。困ったときでも、まずは自分で調べ、試行錯誤し、どうしても解決できない場合に初めて他者に助けを求める、という姿勢が身についていたように思います。それは、美徳とされることもあれば、単に他者への遠慮や頼ることへの気恥ずかしさからくるものでもあったでしょう。
海外に移住して間もない頃、私は言葉の壁や文化的な慣習の違いから、手続きや日常的な問題で何度も立ち止まることになりました。銀行口座の開設、携帯電話の契約、住居の問題など、一つ一つが骨の折れる作業でした。最初はその度に、日本のときと同じように何時間もかけてインターネットで調べたり、分厚いマニュアルを読んだりして、自力で解決しようと奮闘していました。しかし、情報が限られていたり、文化的な背景が理解できていなかったりするため、どうにもならない状況に陥ることが増えていきました。
助けを求めることへの抵抗と、差し伸べられた手
何度か本当に困り果て、意を決して現地の友人や知人に助けを求めたことがありました。日本の感覚では「こんな簡単なことまで聞いても良いのだろうか」「相手の貴重な時間を奪ってしまうのではないか」という遠慮が先に立ち、躊躇する気持ちが常にありました。
しかし、実際に助けを求めてみると、多くの人が驚くほど自然に、そして快く手を差し伸べてくれたのです。私のつたない説明を辛抱強く聞いてくれ、一緒に解決策を考えてくれたり、必要な場所に連れて行ってくれたりしました。それはまるで、「困っているなら助けるのは当たり前」という空気感でした。そこに、助けを求めることに対するネガティブな評価や、相手に過度な借りを作ったというような感覚はほとんどないように感じられました。
この経験は、私にとって小さな衝撃でした。助けを求めることは、自分の弱さをさらけ出すことではなく、むしろ他者との繋がりを積極的に求める行為であり、人間関係を築く一つの入り口にもなり得るのかもしれない、と考えるようになったのです。
助けられる経験が変えた「自立」への意識
こうした経験を重ねるうちに、私は徐々に「完璧な自立」を目指すことへの固執を手放していきました。以前は、人に頼ることは自立できていない証拠だと考えていた節がありました。しかし、異文化で助けを求める中で、人間は皆、多かれ少なかれ他者との相互依存の中で生きていること、そして困ったときに素直に助けを求めることは、自分一人で抱え込まず、より効率的かつ穏やかに問題を解決するための賢明な選択肢でもあることを実感したのです。
助けてくれた人たちも、私が困っている状況に対して同情するのではなく、単に「解決すべき問題がある」「自分にできることがある」と捉えているように見えました。そして、私が彼らを必要としたように、いつか彼らが私を必要とすることがあるかもしれない、という相互扶助の精神が根底にあるようにも感じられました。
助ける側になって気づいたこと
自分が助けられるだけでなく、相手を助ける機会も自然と増えていきました。例えば、新しく来た留学生のサポートをしたり、地域コミュニティの活動で他の住民と協力したりするなどです。誰かを助けることは、自分が役立つことを実感できる喜びだけでなく、相手との間に信頼関係や親近感が生まれるきっかけにもなりました。
自分が助ける立場になったとき、相手が遠慮なく助けを求めてくれることに対して、負担に感じるどころか、むしろ信頼されているように感じ、嬉しい気持ちになる自分に気づきました。これは、私がかつて抱いていた「助けを求めるのは迷惑」という考え方とは真逆の感情でした。この経験は、「助けを求めること」と「助けること」が、与える側と受け取る側の一方的な関係ではなく、人間関係を豊かにする相互的な営みであるという理解を深めてくれました。
相互依存の中に見出す新しい「強さ」
海外での「助け合い」の経験を通して、私は「自立」に対する考え方を更新しました。一人ですべてを完璧にこなすことだけが自立なのではなく、自分の限界を認め、必要なときに他者に助けを求めることができる能力も、一種の強さであると考えるようになったのです。そして、困っている他者に自然に手を差し伸べることができる優しさもまた、社会の中で生きていく上で非常に大切な力だと感じています。
相互に助け合い、支え合う関係性の中にこそ、より大きな安心感や連帯感が生まれることを、私は異文化の日常の中で学びました。これは、個人主義が強いとされる文化の中にも確かに存在し、人々の暮らしや人間関係の基盤となっている側面でもあります。
多様な文化に触れることは、自分の内側にある「当たり前」を揺さぶり、新しい視点を与えてくれます。私の海外での経験は、困ったときに「助けてほしい」と言うこと、そして誰かに「助けてほしい」と言われたときに自然に手を差し伸べることの大切さを教えてくれました。それは、私自身の人間関係をより開かれたものにし、他者との繋がりの価値を深く理解するための貴重な学びでした。