私の異文化体験談

異文化の働き方に触れて見えた、自分にとっての「働く」意味の変化

Tags: 異文化理解, 働き方, 価値観の変化, キャリア, 海外移住

異文化の働き方に触れて見えた、自分にとっての「働く」意味の変化

海外で生活を始めてから、様々な場面で日本との文化や価値観の違いに触れてきました。その中でも、働くということに対する考え方や、職場での人間関係の築き方は、特に大きな違いを感じた分野の一つです。それは、私が「働く」という行為や、自身のキャリアについて持っていた固定観念を大きく揺るがし、自分自身の価値観を問い直す機会となりました。

海外の職場で直面した、働くことへの異なる価値観

私が移住先で働き始めた最初の頃、日本の職場環境との違いに戸惑うことが多々ありました。例えば、定時になると多くの人が迷いなく退社していく姿、そして残業をすることに対する意識の低さです。日本では、定時を過ぎても多くの人が仕事をしているのが当たり前だと感じていましたし、時に残業を厭わない姿勢が評価される場面もあるように思っていました。しかし、こちらでは「時間内にパフォーマンスを最大化すること」が重視され、時間外労働は「時間内に仕事を終えられなかった」と見なされる傾向があるようでした。

また、休暇の取り方にも違いを感じました。長期のバケーションを計画的に取得することが一般的であり、同僚は皆、それぞれの休暇を心から楽しみにしている様子でした。日本では、周りの状況を気遣ってなかなか長期休暇を取りづらい雰囲気がある場所も少なくないかもしれません。私自身も、最初は長い休みを取ることに罪悪感のようなものを感じていましたが、同僚たちが当たり前のように家族や友人との時間を大切にしている姿を見ているうちに、働くことと休むことのバランスに対する考え方が変わっていきました。

会議での意見交換のスタイルも印象的でした。日本では、場の空気を読んで発言を控えたり、事前に根回しをしたりすることが重視される場面がありますが、こちらでは自分の意見を率直に、時に強く主張することが奨励される傾向がありました。もちろん文化や個人の性格にもよるでしょうが、活発な議論を通じてより良い結論を導き出すことに価値を見出すという姿勢は、新鮮な驚きでした。

行動の裏側にある、根源的な価値観の考察

これらの表面的な行動の違いに触れる中で、私は次第に「なぜ彼らはこのように働くのだろうか」と考えるようになりました。残業をしない、休暇をしっかりと取る、自分の意見を主張する。これらの行動の背景には、仕事はあくまで人生の一部であり、プライベートな時間や自己実現、家族との繋がりを何よりも大切にするという、より根源的な価値観があるように感じられたのです。

日本では、組織への貢献や集団の中での調和が重んじられる傾向があり、それが時に個人の時間や意見よりも優先される文化があるのかもしれません。どちらが良い、悪いという話ではなく、働くことに対する様々なアプローチや価値観が存在することを、身をもって学んだのです。

自分自身の「働く」ことの意味を問い直す

異文化の働き方に触れることは、私自身の「働く」ことに対する固定観念を崩すプロセスでもありました。かつては、長時間働くことや、他者からの評価を得ることに価値を見出していた部分があったかもしれません。しかし、海外で様々な働き方や価値観に触れる中で、自分にとって本当に大切にしたいことは何か、働くことを通じて何を得たいのかを深く考えるようになりました。

仕事は生活のためだけではなく、自己成長の機会であり、社会との繋がりを感じる場でもあります。同時に、人生には仕事以外にも大切なものがたくさんあるという当たり前の事実に、改めて気づかされました。仕事とプライベートの間に明確な境界線を設けること、自身の幸福や健康を優先すること、そして自分の意見をしっかりと持つこと。これらの異文化での経験は、私がより自分らしく、心身ともに健やかに働くためのヒントを与えてくれました。

この変化は、単に働き方が変わったというだけでなく、人生全体に対する向き合い方にも影響を与えています。自分自身の価値観を深く理解し、それに沿った選択をすることの重要性を学びました。

多様な働き方、多様な人生

海外での仕事体験を通じて、働くということに対する多様な価値観が存在することを肌で感じました。そして、それは単に国や文化の違いというだけでなく、一人ひとりの人生観や幸福観に根差しているのだと思います。

この経験は、私にとって、働くことの意味を限定せず、常に自分にとって最善のバランスや形を模索し続けることの重要性を教えてくれました。それは、他者の価値観を尊重することと同様に、自分自身の内なる声に耳を傾け、自身の価値観に正直に生きることの始まりだったように思います。多様な働き方があるように、人生のあり方もまた多様であるという、シンプルで力強い示唆を、異文化の職場は私に与えてくれたのです。